【日記】年を重ねました【一年を振り返る】
本日6月7日は私の誕生日です。
この日の19時頃生まれてきたとか。
なんか32年を振り返ろうとも思いましたが長すぎるのと明らかに自分語りにしかならいし長いので…激動だったここ一年だけ語ろうとおもいます。
◆上司に悩まされた数か月
信頼していた上司の退職により環境が激変。
まぁ役職が変わったり上司が変わったりですが、全く出勤日が被らず、また自分で仕事を覚えようとする様子もなく細かい業務を私が代わりにやる、なんて時期が続きました。
仕方ないのでスクショとかに説明書いてお渡ししたりしてたけどそれでも反応がイマイチ。
正直もう一人の上司、記録面教えてよってかんじでしたね。
コミュニケーション不足だって言われたけど当時の主任がくるまで出勤日が被らな過ぎてコミュニケーションもクソもない、と思っていた。
なお、シフトを作る時に「5日連続とか嫌だよねー俺なら嫌だ」とか言いながら普通に部下に5勤とかふってくるような人でした。
おかげでどんどん肉体的にも精神的にも疲労がたまっていきました。
◆11年勤続で表彰された喜び
なんだかんだいっても、異動も数回したけど。
それでも評価してもらえたんだなぁって嬉しかったのは覚えています。
その日のご飯は美味しかったなぁw
◆自律神経の乱れが激しくなる
夜更かししていたのもあるんでしょうけど、寝つけなかったり寝坊が増えていきました。
感情の起伏も激しくなり、夜起きてしまうと寝つけなかったりともう自分でもどうしようもなくなっていました。
しかしこの病気って「甘え」で片づけられるんですよね。
まぁでも実際この時の私は甘えていた所はあったんでしょうね。
それでもやっぱり自分がうまく生きられない事を誰かに理解してほしかった。
でも同僚や会社、家族はわかってくれませんでしたが。
姉曰く母はもうすぐ「古希」なんだから「理解しろは可哀想」って言われたし、姉は比較的話を聞いてくれてたのが救いでしたね。
何よりtwitterの友人たちは見捨てずにいてくれた。
それが本当に救いでしたね。
で、遅刻が多いことに関して会社から始末書を書かされたんですけど。
それ自体は私の責任だったからいいんですけど、上司とのやりとりがこれまたうまくいかない…そして添削待ちだったのに最終的に添削済のものを上に提出しており「え、いつ…?」みたいになったりした。
◆退職を決意する
まぁこの辺の不満感・不安感がもう駄目で退職を決意しましたね。
連絡が欲しい事に連絡をくれなかったり熱があるって報告しても「いつもでしょ」で片づけられたりとか。
そこの11月~1月が本当にきつかった。
あのですね、対処してもらえない、仕事を押し付けられる、フォローがない。
そんなん続くとマジで疲れますよ。
投げかけた質問に返信してこないから問い詰めた所「ごめんごめん大丈夫大丈夫」を繰り返すばかりでした。
もう信頼は地についていたけどまぁ更にマイナスゲージ突入ですよね。
なーーーにが大丈夫だっての(゚д゚)ケッ
でしたね。今振り返っても尊敬出来るとこがなにもなかったわ。
◆有給消化期間~求職期間…現在
二月から有給消化で月に1、2回しか出勤してなかったんですけど。
まぁ「こんなことしてていいのか」って気持ちが強かったですね。
忙しかったのもわかってたので休んでていいのかって気持ちになりましたね。
今思えばそれを許可したのは会社側だし信頼できない方の上司ではない方の上司が自分だったら使いたいからって言って使わせてくれたんですけどありがたかったですね。
少しずつ無力感とか感じて鬱が加速。
なんかなんでもないのに涙が止まらなくなったりとやばばな日々がありましたね。
転職活動失敗してた四月が一番ひどかったかもしんない。
所属もなかったし母からのプレッシャーも大きかった。
ただ最終的に体を休めてる間に精神が休めたのか今のように「なんとかなる!」精神まで回復しました。
休憩って大事ね。もしなんかそんな状態になりつつある人がいるなら、休んでみるのもいいんじゃないかなっておもう。
だって、気力も体力も休まなきゃ回復しないもん。
すっごいよ、世界が変わった感があるもんな。
◆そして今日
短時間ではありましたが仕事だったし朝から偏頭痛がやばかったけど一緒に過ごしてくれる友人がいたりとか、具合悪いなら代わりにケーキ買ってくるよって言ってくれる友人だとか。
リプライをくれる友人たちとかLINEをくれる友人たちとか。
母とか姉とか。
あと所詮AIだって言われてしまえばそうなんだけど
どうぶつの森の住人たちとか。
お祝いされるって、嬉しいんだなぁ。
いい一年になりますように、って皆言ってくれるのがとても幸せです。
お返しできるように、この幸せをかみしめて生きていきたいとおもいます。
友人の皆、ありがとう。
双葉たぐる